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“経済学”

予想通りに不合理

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」の感想。

経済学が想定する「合理性」人間とは、しばしば誤解されるような「あらゆる情報を加味して損得計算ができる」ことではなく、せいぜい「自分にとって何が特で何が損かは、自分が一番良く知っている」程度の意味だと、『世界一シンプルな経済入門』にはあった。これは一見無理のない想定に思えるが、しかし本書によれば、現実の人間はその程度の緩い想定すら満たさないほど、合理性とはかけ離れた存在であるらしい。つまり自分で自分が何をどの程度求めているか分からず、様々な要素(相対性や社会規範や一時の感情など)に支配されて容易に不合理な選択をして失敗して、しかもそのことに気がつかない

ただし著者らによる多くの実験が明らかにするところによれば、その不合理さには秩序がある。失敗の仕方に規則性があり、予想通りの仕方で失敗する。まさに「予想通りに不合理」というわけだ。だから「合理的な」人間の代わりに「予想通りに不合理な」人間という想定を組み込むことで、経済学を改良できるのではないか。そして不合理さ故に手つかずになっている部分を改善することで、ある種の”フリーランチ”が手に入るのではないか。それが「行動経済学」というもののアプローチだという。

いくつか特に印象深かった点。

保有効果(主に7章)

人が何かを手に入れると、他の人よりもその「何か」を高く評価するようになる。早い話、愛着が湧くとそれ以前よりも良く思えるということ。またそれ故に、人は得ることよりも失うことの方に大きな感情を抱く。

この保有効果を商売に利用したものとして、組み立て式の家具(苦労するほど所有意識が高まる)、ネットオークションや大部分の広告(所有する前に所有意識を発生させる)、無料お試し期間(一旦所有意識を植え付けてしまえば離れにくくなる)、などが紹介されている。

所有意識は物質的なものに限らず、思想や宗教、アイデアなどにも当てはまる。一旦それを手に入れてしまうと、その思想なり何なりを失うことに耐えられず、実際以上にありがたがってしまう危険がある。これは「アイデアと結婚してはいけない」という『まぐれ』に書いてあった警句とも符合する。

知識、予測と経験(主に9章、10章)

美味しそうだと思って飲むと美味しく、不味そうだと思って飲むと不味くなる。「そういう意見を持つようになる」という意味ではなく、実際に味覚が変わってしまう

「自分がどのようなステレオタイプで見られているか」認識するだけで、行動が変わるといったことも起こる。またブラセボやブラセボ手術が実際に効いてしまうのも同様の現象と言える。近年に入るまで、ほとんどの薬はブラセボだったらしい…。また薬よりさらに実験するのが難しい「手術」については、現代でも多くのブラセボが含まれている可能性があるとのこと。この点はいずれ研修医の友人に意見を聞いてみたいところだ…。

まぐれ—投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』の感想。

著者は『ブラック・スワン』のナシーム・ニコラス・タレブ氏。この本は『ブラック・スワン』の一つ前にあたる著作。

日本語の副題「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」が的確に内容を要約している。哲学やら社会学やら心理学やら、かなり幅広い話題を扱っているが、結局のところ「市場においてトレーダーはどう振る舞うべきか」というテーマが中心にあって、トレーダーとしての自身の経験と運用哲学が根底にある。非合理的な振る舞いを繰り返す同僚たちをバカだアホだとこき下ろしながらも、実はその一部は自分自身のことで、人間はどうやっても合理的になりきれないと告白する。自分が愚かであることを理解し、受け入れた上で、うまく向き合っていく方法を身につけるしかないのだと。

この本は著者がそういう自分のやり方に、自分で納得するために書いているのではないか、と思える部分がある。結構ドギツイ文章を書く人で、読んでいてうんざりしてしまうことも多かったが(特に前半)、実際はとても正直な人なのだろう。

以下、特に印象に残った内容を6章以降から。この本は6章から俄然面白くなるので、6章までは頑張って読み進めることをお勧めする。

  • 「確率」と「期待値」を混同してはいけない。0.7の確率で1%の上昇、0.3の確率で10%下落なら、期待値は2.3%の下落だから下落にかけた方が良い。勝つ可能性が高くても、それで儲かるとは限らない。
  • 確率と期待値を混同してしまう原因の一つは、確率を習うときにコインの裏表のような対称な分布を使うから。正規分布も典型的に対称な分布。
  • 稀な事象は、めったに起こらないというだけで、起こるときには起こる。そしていつも思いがけないときに起こるので(そうでなければ稀な事象ではない)、起こったときには心理的なバイアスによって適正な値段がつかないことが多い。よって大きく儲けるチャンスがある。
  • 人間は刺激の大きさよりも刺激の有無に敏感な傾向がある。だからトータルで利益が出るかどうかではなく、「損失の回数が少なく、利益の回数が多い」ような戦略を選んでしまう(日本で毎月分配型の投資信託が好まれる理由?)
  • ある理論が「検証可能」であるということは、数量的な要素に分解して統計的に調べることができるということ。よって間違っていると証明すること(反証)はできるが、正しいと証明することはできない。「(今まで)〜ということはなかった」は「(これからも)〜ことはない」とイコールではない。
  • 科学的と言える理論は2種類しかない。(1).反証されて、間違いであることが分かっている理論。(2).まだ反証されていないが、いずれ反証される可能性のある理論。反証できない理論は科学ではない。
  • 取引戦略を立てる時も反証可能性について考えることは重要。どういう状況になったら自分の戦略が間違っていたことになるのかをはっきりさせておき、そうなったときには即座に手仕舞う(ストップロス)。

そして個人的にこの本の中で最も面白いと思ったのは、無限匹のサルがタイプライタを叩く話(170ページ)。サルが無限匹いれば、中には偶然に名作を書き上げてしまう奴が必ず一匹は現れる。ここまでは割とよく聞く例え話だ。しかしここからが面白い:名作を書き上げたその一匹があなたのもとを訪れて、自分で書き上げたその「過去の実績」を示し、パトロンになってくれと頼んできたらどうだろう!そのサルがその名作を書き上げたのは紛れもない事実なのだ。そしてその他大勢のサルたちは皆(特に目立った成果を挙げられなかったのだから当然)どこかに行ってしまった。あなたの目の前にいるのは”奇跡のサル”だけだ……。

どんなに無能な集団でも、母集団が十分大きければ、必ず一定数は成功する。成功しなかった大多数は消えてしまうので、あとから見ると成功した一部しか目に入らない(これを生存バイアスという)。よって「過去にどれだけの実績を上げてきたか」が分かっても意味がない。当初その人が属していた母集団の大きさをこそ知らなければいけない。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]の感想。

科学としての経済学

経済学は計測の学問だと言う。それは経済学が”科学”であるための方法なのだろうと思う。

自然科学において仮説を検証するには実験を行う。狙った現象が観測可能になるようなうまい状況を整えて、仮説に整合的な結果が生じるかどうか調べる。しかし経済学の対象は現実そのものなので、仮説を検証するための実験を行うことは難しい。代わりに現実の中で得られた膨大なデータに統計学的な分析を加えて、ある現象の原因と結果がうまい具合に立ち現れるよう工夫する。

そういう意味で、経済学におけるあらゆる種類の実験は、あらゆる条件下で常時行われていると言えるかもしれない。

インセンティブは発明されたものである

インセンティブとは「発明」されるものだと言う。もっと稼ぎたいからがんばって働く、警察に捕まるのが怖いから不正はしない。現代社会では当然のことと考えてしまいがちだが、これらは普遍的な原理でも何でもなく、そういう風に行動するようにインセンティブが設計されているのだ。ここで私はおれカネゴンさんの日記の次の箇所を思い出した:

ところで、「よいことをするとよい報いがある」「悪いことをするとそれなりの報いがある」という因果は、実はまったくの非合理的な信念 (irrational belief)で、この因果は合理的なのだ(筋が通っている)とすべての人によって信じられているということ以外にこれを支える根拠は本来どこにもなかったりする。かといって、論理療法とかを真似て、にわかハッカーのように「これは非合理的です」と斬って捨てたままにしていいことにはならない。というのは、人類は数千年かけて、本来は非合理的であるはずのこの信念が本当になるように全力を尽くしてきたからで、その最たるものが法律なのだと思う。

法律はインセンティブを導入するための強力な手段の一つだ。そして経済学者は、インセンティブを発明したり設計したり導入したりすることで、あらゆる問題は解決できると考える(らしい)。

『割れ窓理論』という通念

150ページからは有名な「割れ窓理論」をもとにしたニューヨーク市の防犯対策と、実はそれは全く効果がなかったという著者の主張が述べられている。主張の根拠は次の3点にまとめられる:

  1. 犯罪の急減はニューヨーク市にけではなく、全米で起こっていた。
  2. 対策が始まったのは1994年からだが、1990年には既に減少が始まっていた。
  3. 対策の内容とは無関係に、警官が増員されていた(警官が増えれば犯罪が減ることは証明できる)。

これだけの証拠があったのに、なぜ割れ窓理論に元づく説明が広く世間に受け入れられ、「通念(conventional wisdom)」となったのか。『通念は、単純で都合がよくて居心地良さそうで、実際居心地がよくなければならない』と著者は言う。確かに、割れ窓理論が提示する筋書きは心地よい。身近なところで起こる軽微な犯罪を徹底的に取り除いていけば、やがて街から犯罪の臭いが消え、殺人や強盗といった重大な犯罪も減少する……。警察が、街のみんなが頑張ったから犯罪は減ったのだ!というのは、ぜひとも信じたくなる考え方だ。

「銃とプール、危ないのはどちらか」、「ヤクの売人はなぜママと住んでいるのか」、「黒人と白人の成績格差は何が原因か」といった本書の話題の多くは、基本的に米国人の通念を前提としており、日本人が読んでも「ふーん」という以上の感想を持つのは難しい。例えばアメリカでは近年、子供に変な名前をつける親が増えているらしい。日本でも同じような話は聞く。しかしそこから親の傾向とか子供の成績との相関を調べたら、アメリカとは全く別の結論になるのではないかという気がする。

世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ!

世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまでの感想。

飯田泰之先生の経済入門本。発売がなぜかエンターブレインだったり、帯にでかでかと勝間和代さんの写真が載っていたり、外観は良く分からないことになっているが、内容はとてもとても分かりやすかった。

主に3章以降から、特に印象に残った部分をメモ。

  • 不況には2種類あり、また2種類しかない。すなわちスタグフレーションか需要不足型不況である。
  • 経済政策には成長政策、安定化政策、再配分政策の3種類があり、それぞれ目的も効果も異なる。間違った状況で間違った政策をとると効果が出ない
  • 60〜70年代の世界はスタグフレーションに陥っており、「成長政策」こそが必要だったが、「安定化政策」をとってしまった。また90年代以降の日本は需要不足型不況で「安定化政策」が必要なのだが、「成長政策」をとってしまった(小泉改革)。
  • 成長政策は中長期的な潜在GDPの上昇に効果がある。代表的な政策は「民営化」と「規制緩和」。
  • 安定化政策は潜在GDPと実質GDPを安定的に一致させる。経済の安定は中長期的な潜在GDPの上昇にも欠かせない。代表的な政策は「財政政策(公共事業/給付金)」、「金融緩和政策」
  • 再配分政策が必要なのは、セーフティネットを整備して成長のための挑戦をしやすくするため。過剰に再配分をやると逆効果。
  • 2002年から2007年までの「いざなぎ超え」は、それだけの期間回復基調が続いたというだけで、需給ギャップはほとんど埋まっていなかった。成長率そのものも低く、結局のところ需要不足型不況が続いていた。
  • デフレ下では名目金利がどれだけ低くても、実質金利=名目金利-予想インフレ率は高くなり、企業の投資活動は萎縮する。
  • ミクロの視点では正しくとも、それが合成されたマクロの世界では正しくなくなることを「合成の誤謬」という。デフレ下の個人個人の選択は合理的なので責めようがないが、最終的には自分たちの首を絞めることになる。
  • 税収の増加率≒名目GDP成長率<国債の名目利子率 が成り立っている限り、どれだけ無駄を省いたとしても、必ず財政は破綻する。

Amazonのレビューにも書いてあるが、一部で図が間違っている。あと誤植が割と多い。そこだけが気になった。