
本書は、統計分析の活躍を語る本である。特に、様々な意思決定に用いられる統計分析を「絶対計算」と呼んで、それらがどれだけ多くの分野で、どれだけ大きな成功を収めてきたかを、実に誇らしげに語っている。何しろ著者自身が、第一級の”絶対計算家”の一人なのだ。その強い自負と責任感が、文の調子からも伝わってくる。
絶対計算の台頭によって、人間の経験や知識や直感、そしてそれらを売りにしていた専門家たちは、意思決定プロセスの現場から弾き出されてしまった(あるいは、弾き出されつつある)。本書は、専門家たちに対する、絶対計算の優位性を、これでもかというくらいに語る。その様は爽快ではあるし、頭では正しいと理解できるけれども、やっぱり、空恐ろしさを感じずにはいられない。なぜなら、ごく普通の意味での「意思決定」とは、「自分の経験や知識や直感をもとに、専門家の意見も聞いて、自分で何かを決定すること」に他ならないからだ。
私は今、この本の感想をiPhoneで書いている。多くの人に読んで欲しいと思って、文章を推敲している。あなたはこの感想を読んでいる。きっと、何か有益な情報が欲しいと思って読んでくれているのだと思う。しかし私たちの行動は、ともに目的に対してベストではない。より適切な行動は、統計分析が知っている。
人間の直感に基づく意思決定は、全く当てにならない。本書にはそんな事例が、山ほど出てくる。「でも、絶対計算の結果を専門家の代わりに利用すれば、より良い判断ができるってことでしょう?」という、”直感的な”期待すら裏切られる。ほとんどの場合、何も考えずに、ただ統計分析に従った方が正しい。
しかし本書は、人間の直感の価値を否定する本ではない。例えばワインの事例。どのような気象条件が揃えばブドウが美味しくなるのかは、昔から経験的に知られていた。その背景にあったのは、ごく自然な、直感に基づく推論だ:「夏の気温が高ければ、実が良く熟して酸味が抜ける。雨が少なければ、果汁が実の中で濃縮される」。著者らが行った無線式車両盗難防止装置の調査も、”根拠に基づく医療”を掲げるバーウィックの根拠も、本書のその他あらゆる事例も、そうした例に加えていいだろう。みんな始まりは、ありきたりな直感からなのだ。
だから絶対計算とは、人間の直感にとっては、いわば淘汰圧のようなものだ。淘汰圧がなかった頃は、どんな役に立たない直感も、生き延びることができた。たまたま最初の事例で偏りがあったとか、言い出した人が業界の権威だったとか、全くの誤解だけど理屈だけはもっともらしいとか……いずれにせよ、誰にも間違いを証明することはできなかったから、根拠がないままに信じられていた。そこに絶対計算が登場した。誰にでも分かる形で、直感の本当の価値が示されるようになった。価値のない直感は淘汰された。そして真に価値ある直感、絶対計算という淘汰の力をも利用する直感だけが、生き延びて大きな繁栄を謳歌するようになった。その繁栄の規模は、かつては考えられなかったほどに巨大だ。
無論、この淘汰の圧力は、今後も強まり続けるだろう。コンピュータの処理能力はますます上がり、より多くのデータを、さらに短時間で解析できるようになっていく。人生の多くの意思決定が、誰かの絶対計算の結果によって覆い尽くされていくのだ。そんな世界では、絶対計算家ではない一般の人たちも、統計の基礎的な素養を身につけなければならない。それは不当な扱いから身を守るためであり、同時に自らがチャンスを掴むためでもある。その手始めとして、誰もが使える統計の武器である「2SDルール」と「ベイズ理論」を紹介して、本書は締めくくられる。
補足:プログレッサ計画はバラマキか?
本書の文庫版には追加の訳者付記があって、そこで翻訳者の山形浩生氏が、3章に登場する「プログレッサ計画」に対し、「バラマキ政策ではないのか」と疑問を投げかけている。
要するに、子供が学校に通ったらお金を(それも通常賃金の三分の二というかなりの金額を)あげるという代物だ。所得水準でいえば、日本で小学生に、月に十万円あげるから学校に行こう、と言うに等しい。(略)それだけのお金をあげれば、就学率が上がったり、学校をやめる子が減ったりするのは当然だ。
だがこのプロジェクトの中身を考えると、本当に絶対計算を使う必要があったのだろうか?(略)そしてこれは実は(日本の子供手当など問題にならないくらいすごい)ばらまき政策ではないのか?
これはあんまりな誤読だと思うから、要点を論じておこう。以下の議論は、あくまで本文に何と書いてあるかについての議論であって、現実のプログレッサ計画がどんなものだったかとは関係ない。
プログレッサとは、子供の労働力の市場価値に応じて、親に現金を給付する政策だ。本当に貧しい家庭では、親が幼い子供を働きに出す。親が子供の未来を犠牲にしてしまうのだ。それを防ぐための政策が、プログレッサである。この時点で「日本で小学生に10万円」とは全く違う話だ。
さて、直感的には、子の労働力の市場価値を越えるくらいの現金を給付すれば、問題は解決しそうに思われる。それだけなら、訳者の言う通り、絶対計算など使う必要はなかったかもしれない。しかしプログレッサの考案者たちは、もっと別のことも考えたのだ。「予算はできる限り抑えたい」「給付金が、確実に子供たちのために使われることを、保証したい」。これによって、プログレッサの実施条件は、次のようになった:
- 現金支給額は、子供の労働力の市場価値の、約3分の2
- 支給を受けるには、各種の健康診断を受けなければならない
- 支給を受けられるのは母親のみ
ここまで来れば、もはや成功が明らかな政策とは、言えないだろう。仮に成功したとしても、確かにこの政策のお陰だったと断言するのは、難しいだろう。だからこそ、まず無作為抽出テストを行って有効性を明らかにしたことには、大きな意味があったのだ。もちろん、それが次の政権への引き継ぎにも大きな役割を果たしたことは、本文にある通りだ。
まとめると、プログレッサには、貧困の継承を断ち切るという、明確な目標があった。登校率や各種の健康指標という、客観的に成果を測るための指標もあった。無作為抽出テストで有効性が示されてから全国規模に拡大するという、慎重な導入プロセスをも踏んでいた。それをバラマキではないかと言うのは、流石に違うだろう。