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読書

『コンピュータが仕事を奪う』 レビュー

本書は、大きく分けると二つの内容から成り立っている。

一つ目は、「数学的思考に基づく営為は、今後もコンピュータによって置き換えられることはない」という主張である。著者はまずこの主張の根拠を説明するために、コンピュータが計算を行う原理から説き起こして、数学とは何か、数学的思考とは何かについての解説を行う。本書の第1〜4章が、主にこの内容に充てられている。

二つ目は、 著者独自の教育論である。こちらは主に第5章で語られているのだが、客観的な根拠に基づく主張と言うよりは、むしろ経験や主観を背景とする”信念”に近い。

……

本文の構成や、語り口の熱さから見て、著者がこの本を書くことになった最大の動機は、明らかに後者の”教育的信念”に由来している。それは裏を返せば、「仕事を奪われる」という危機感は、著者自身のものではないということだ。著者はあくまで教育者として、子供たちの将来の仕事を心配しているだけなのである。

しかしそういった、悪くいえば当事者意識の薄さが、前半の内容にはプラスに働いている。そもそもまず、「コンピュータがホワイトカラーの仕事を奪う」というテーマに対して、計算機工学の基礎から始めるという発想自体が非凡である。現に危機を感じているような立場からは絶対に出てこない、遠回りのようでいてこれ以上ないくらいに正しい、そういう王道ルートである。そしてその内容も素晴らしい。常に自身が「教える立場」であることを意識しているためだろう、内容の娯楽性に引っ張られて妙な寄り道をしたり、専門外の分野に対して知ったか振りをすることもない。 控え目で、冷静で、誠実だ。

その冷静沈着な語り口を知っているが故に、第5章で教育について熱っぽく語る様は、ある種、異彩を放って見える。しかし同時に、妙に納得もするのだ。「ああ、これだけの熱情があったから、これほどの書物を書き上げることができたんだな」と。 そういう有様こそが、コンピュータには決して置き換えられない、人間の仕事の一つの形なのかもしれない。

『その数学が戦略を決める』 レビュー

本書は、統計分析の活躍を語る本である。特に、様々な意思決定に用いられる統計分析を「絶対計算」と呼んで、それらがどれだけ多くの分野で、どれだけ大きな成功を収めてきたかを、実に誇らしげに語っている。何しろ著者自身が、第一級の”絶対計算家”の一人なのだ。その強い自負と責任感が、文の調子からも伝わってくる。

絶対計算の台頭によって、人間の経験や知識や直感、そしてそれらを売りにしていた専門家たちは、意思決定プロセスの現場から弾き出されてしまった(あるいは、弾き出されつつある)。本書は、専門家たちに対する、絶対計算の優位性を、これでもかというくらいに語る。その様は爽快ではあるし、頭では正しいと理解できるけれども、やっぱり、空恐ろしさを感じずにはいられない。なぜなら、ごく普通の意味での「意思決定」とは、「自分の経験や知識や直感をもとに、専門家の意見も聞いて、自分で何かを決定すること」に他ならないからだ。

私は今、この本の感想をiPhoneで書いている。多くの人に読んで欲しいと思って、文章を推敲している。あなたはこの感想を読んでいる。きっと、何か有益な情報が欲しいと思って読んでくれているのだと思う。しかし私たちの行動は、ともに目的に対してベストではない。より適切な行動は、統計分析が知っている。

人間の直感に基づく意思決定は、全く当てにならない。本書にはそんな事例が、山ほど出てくる。「でも、絶対計算の結果を専門家の代わりに利用すれば、より良い判断ができるってことでしょう?」という、”直感的な”期待すら裏切られる。ほとんどの場合、何も考えずに、ただ統計分析に従った方が正しい。

しかし本書は、人間の直感の価値を否定する本ではない。例えばワインの事例。どのような気象条件が揃えばブドウが美味しくなるのかは、昔から経験的に知られていた。その背景にあったのは、ごく自然な、直感に基づく推論だ:「夏の気温が高ければ、実が良く熟して酸味が抜ける。雨が少なければ、果汁が実の中で濃縮される」。著者らが行った無線式車両盗難防止装置の調査も、”根拠に基づく医療”を掲げるバーウィックの根拠も、本書のその他あらゆる事例も、そうした例に加えていいだろう。みんな始まりは、ありきたりな直感からなのだ。

だから絶対計算とは、人間の直感にとっては、いわば淘汰圧のようなものだ。淘汰圧がなかった頃は、どんな役に立たない直感も、生き延びることができた。たまたま最初の事例で偏りがあったとか、言い出した人が業界の権威だったとか、全くの誤解だけど理屈だけはもっともらしいとか……いずれにせよ、誰にも間違いを証明することはできなかったから、根拠がないままに信じられていた。そこに絶対計算が登場した。誰にでも分かる形で、直感の本当の価値が示されるようになった。価値のない直感は淘汰された。そして真に価値ある直感、絶対計算という淘汰の力をも利用する直感だけが、生き延びて大きな繁栄を謳歌するようになった。その繁栄の規模は、かつては考えられなかったほどに巨大だ。

無論、この淘汰の圧力は、今後も強まり続けるだろう。コンピュータの処理能力はますます上がり、より多くのデータを、さらに短時間で解析できるようになっていく。人生の多くの意思決定が、誰かの絶対計算の結果によって覆い尽くされていくのだ。そんな世界では、絶対計算家ではない一般の人たちも、統計の基礎的な素養を身につけなければならない。それは不当な扱いから身を守るためであり、同時に自らがチャンスを掴むためでもある。その手始めとして、誰もが使える統計の武器である「2SDルール」と「ベイズ理論」を紹介して、本書は締めくくられる。

補足:プログレッサ計画はバラマキか?

本書の文庫版には追加の訳者付記があって、そこで翻訳者の山形浩生氏が、3章に登場する「プログレッサ計画」に対し、「バラマキ政策ではないのか」と疑問を投げかけている。

要するに、子供が学校に通ったらお金を(それも通常賃金の三分の二というかなりの金額を)あげるという代物だ。所得水準でいえば、日本で小学生に、月に十万円あげるから学校に行こう、と言うに等しい。(略)それだけのお金をあげれば、就学率が上がったり、学校をやめる子が減ったりするのは当然だ。

だがこのプロジェクトの中身を考えると、本当に絶対計算を使う必要があったのだろうか?(略)そしてこれは実は(日本の子供手当など問題にならないくらいすごい)ばらまき政策ではないのか?

これはあんまりな誤読だと思うから、要点を論じておこう。以下の議論は、あくまで本文に何と書いてあるかについての議論であって、現実のプログレッサ計画がどんなものだったかとは関係ない。

プログレッサとは、子供の労働力の市場価値に応じて、親に現金を給付する政策だ。本当に貧しい家庭では、親が幼い子供を働きに出す。親が子供の未来を犠牲にしてしまうのだ。それを防ぐための政策が、プログレッサである。この時点で「日本で小学生に10万円」とは全く違う話だ。

さて、直感的には、子の労働力の市場価値を越えるくらいの現金を給付すれば、問題は解決しそうに思われる。それだけなら、訳者の言う通り、絶対計算など使う必要はなかったかもしれない。しかしプログレッサの考案者たちは、もっと別のことも考えたのだ。「予算はできる限り抑えたい」「給付金が、確実に子供たちのために使われることを、保証したい」。これによって、プログレッサの実施条件は、次のようになった:

  • 現金支給額は、子供の労働力の市場価値の、約3分の2
  • 支給を受けるには、各種の健康診断を受けなければならない
  • 支給を受けられるのは母親のみ

ここまで来れば、もはや成功が明らかな政策とは、言えないだろう。仮に成功したとしても、確かにこの政策のお陰だったと断言するのは、難しいだろう。だからこそ、まず無作為抽出テストを行って有効性を明らかにしたことには、大きな意味があったのだ。もちろん、それが次の政権への引き継ぎにも大きな役割を果たしたことは、本文にある通りだ。

まとめると、プログレッサには、貧困の継承を断ち切るという、明確な目標があった。登校率や各種の健康指標という、客観的に成果を測るための指標もあった。無作為抽出テストで有効性が示されてから全国規模に拡大するという、慎重な導入プロセスをも踏んでいた。それをバラマキではないかと言うのは、流石に違うだろう。

『さあ、才能に目覚めよう』 レビュー

書名の”才能”は「じぶん」と読む。その”才能”の、本書における定義は次の通りだ。

才能とは、無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターンである

つまり才能それ自体には良し悪しはなく、使い方次第で強みにも弱みにもなる人格的な偏り、ということである。

どんな才能を持っていてどんな才能を持っていないかは(成人の場合は)変えようがないので、持っていない才能にこだわって弱みを克服しようと必死になるよりは、持っている才能を磨いて自らの強みとし、その強みを活かして生きるべきだ、その方が幸せだし企業の生産性も高くなるよ!……というのが本書の基本的な主張である。

さらに著者らの会社では統計分析を基に、この才能を形作る34種類の”資質”を見出したと主張する。人はそれぞれ、その中の5つ前後を特に顕著な資質として持ち、その組み合わせと強弱が人によってバラバラなので、才能もまた人それぞれ異なる形を取るのだ、と。

その”資質”はストレングス・ファインダーというテストを受けることで実際に確かめることができ、本書を買えば無料で1回受けられる。このテスト目当てで本書を買う人も少なくないだろう。ちなみに私の資質は次の5つだった。

  1. 収集心
  2. 戦略性
  3. 内省
  4. 着想
  5. 学習欲

こうしたテストは単に「当たってるー!」と喜ぶだけでもそれなりに楽しめるわけだが、真剣に自分の人生を見つめ直す一助として本書を活用するのであれば、2つほど注意すべき点がある。

1つ目。この本自体は基本的に企業のマネージャーに向けた内容になっているということ。ある企業の枠内である人材を最大限活用するには、というのが第一の関心事であり、個々人が(それこそ転身転職を含めた)自分の生き方を再考するというテーマについてはあまり突っ込んだことを語ってくれない。いわゆる自己啓発本を期待していると肩透かしを食うだろう。

2つ目。弱みを克服するより強みを活かすべし、という普遍的な哲学と、著者らが独自に提唱する理論とは分けて考える必要があるということ。特にこれを他人に対する見方にも適用し、良くも悪くもその人に対する先入観として利用するのであれば(それが正式なマネージメントの一環であれ、カジュアルな人間観察であれ)、理論的な根拠にはそれなりに注意を払っておくべきである。

ずばり、この理論は正しいのか。本当に各人に固有で不変な思考感情行動のパターンなるものが存在し、それが著者らの主張するような資質に分解可能なのか。本書における根拠は大きく分けて二つである:

  • 神経細胞の連結構造の一意性と不変性
  • ギャラップ社が独自に行った200万人分の統計分析

神経細胞の連結回路が加齢とともに減少し、人それぞれ固有のパターンを形成して、一定の年齢以後は変化しなくなるというのは科学的な事実だろう(本当に本当かまでは調べていないが、科学的手法で容易に正否が判断できる類のものなので、著者らを信用することにする)。ただ、その構造が直接、繰り返し現れる変更不能な感情思考行動パターンに対応しており、故にそのパターン=才能も不変である、という部分は多少科学的に飛躍しているのではないかと私には思われる。

またそれが科学的事実だとしても、そのパターンが「34種類の資質に分解でき」「特に顕著な5種類を持つ」ということ、そしてその資質の具体的な内容については、あくまでこの会社独自の主張である。ギャラップ社がその主張をベースにしてコンサルタント業を営む会社だということも忘れるべきではないだろう。

もちろん、この本で説明されている各資質の説明を読み、実際に自分でストレングス・ファインダーを受けて結果を見、自分の経験則に照らして考えれば、かなりな程度”正しそう”には感じられると思う(個人的には自分の分析結果も含め、大いに納得できる点は多い)。しかし単に確からしさだけを問題にするなら、血液型占いにすら信憑性は宿るのだ。

こうした点を踏まえれば、34の資質だとか5つの強みだとかの具体的な内容にあまり捉われすぎるのは得策ではないだろう。本書で解説されている内容およびストレングス・ファインダーで示された結果は、むしろ日々の実践の中で自らの本当の才能――無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターンに目を向けるための補助線として活用すべきものだ。ストレングス・ファインダーの分かりやすさについ目が行きがちだが、それこそが才能を見つける王道であると本書にもある(第3章)。

そしてまた、理論面での精確な根拠はさておくにしても、著者らが主張する哲学の面に関しては、自分の生き方や働き方、他人との関わり方を見つめ直すための一種の「問いかけ」として、誰にとっても役に立つものと思う:

  • 自分に向いていないこと、弱みを克服しようともがき苦しむよりは、強みに目を向けてそれを伸ばしていく生き方の方が幸福になれるのではないか
  • 自分にできないことを率直に認め、他人と協力し合うべきではないのか
  • 理解不能な他人の言動にただ腹を立てるよりは、表裏一体の長所に気を向けるべきではないか

予想通りに不合理

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」の感想。

経済学が想定する「合理性」人間とは、しばしば誤解されるような「あらゆる情報を加味して損得計算ができる」ことではなく、せいぜい「自分にとって何が特で何が損かは、自分が一番良く知っている」程度の意味だと、『世界一シンプルな経済入門』にはあった。これは一見無理のない想定に思えるが、しかし本書によれば、現実の人間はその程度の緩い想定すら満たさないほど、合理性とはかけ離れた存在であるらしい。つまり自分で自分が何をどの程度求めているか分からず、様々な要素(相対性や社会規範や一時の感情など)に支配されて容易に不合理な選択をして失敗して、しかもそのことに気がつかない

ただし著者らによる多くの実験が明らかにするところによれば、その不合理さには秩序がある。失敗の仕方に規則性があり、予想通りの仕方で失敗する。まさに「予想通りに不合理」というわけだ。だから「合理的な」人間の代わりに「予想通りに不合理な」人間という想定を組み込むことで、経済学を改良できるのではないか。そして不合理さ故に手つかずになっている部分を改善することで、ある種の”フリーランチ”が手に入るのではないか。それが「行動経済学」というもののアプローチだという。

いくつか特に印象深かった点。

保有効果(主に7章)

人が何かを手に入れると、他の人よりもその「何か」を高く評価するようになる。早い話、愛着が湧くとそれ以前よりも良く思えるということ。またそれ故に、人は得ることよりも失うことの方に大きな感情を抱く。

この保有効果を商売に利用したものとして、組み立て式の家具(苦労するほど所有意識が高まる)、ネットオークションや大部分の広告(所有する前に所有意識を発生させる)、無料お試し期間(一旦所有意識を植え付けてしまえば離れにくくなる)、などが紹介されている。

所有意識は物質的なものに限らず、思想や宗教、アイデアなどにも当てはまる。一旦それを手に入れてしまうと、その思想なり何なりを失うことに耐えられず、実際以上にありがたがってしまう危険がある。これは「アイデアと結婚してはいけない」という『まぐれ』に書いてあった警句とも符合する。

知識、予測と経験(主に9章、10章)

美味しそうだと思って飲むと美味しく、不味そうだと思って飲むと不味くなる。「そういう意見を持つようになる」という意味ではなく、実際に味覚が変わってしまう

「自分がどのようなステレオタイプで見られているか」認識するだけで、行動が変わるといったことも起こる。またブラセボやブラセボ手術が実際に効いてしまうのも同様の現象と言える。近年に入るまで、ほとんどの薬はブラセボだったらしい…。また薬よりさらに実験するのが難しい「手術」については、現代でも多くのブラセボが含まれている可能性があるとのこと。この点はいずれ研修医の友人に意見を聞いてみたいところだ…。

『Webを支える技術』のER図が変な件

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)

すごく良い本なんですが、どうしても気になってしまったので、この部分だけ先に書きます。297ページ、17.2『関係モデルからの導出』で示されている郵便番号の関係モデルは変だと思います。ER図は次のようになっています:

「郵便番号データのER図」、『Webを支える技術』298ページより

これのどこが変かというと……要するに正規化が不十分なので、いろいろなところが変です。

  • 郵便番号エンティティが都道府県エンティティと市区町村エンティティを別々に参照しているので、「東京都のIDと大阪市のIDをもつ郵便番号」のようなものが作れてしまいます。
  • 市区町村エンティティが都道府県エンティティに依存していないので、「どの都道府県にも属さない市区町村」が作れてしまいます。
  • 町域エンティティが郵便番号エンティティに入り込んでいます(町域名フリガナは町域名に関数従属する)
    • 町域と都道府県-市区町村の関係が保証されていないので、「東京都のIDと大阪市のIDと愛知県の町域名」みたいなものが作れてしまいます。

実装のことはさておき、純粋にデータの数的な関係に着目するなら、モデルは次のようになるのではないかと思います。

郵便番号データのER図・作図例

(モデルの”意味”を明確に示すために、あえて数値のIDではなく都道府県名や郵便番号などをそのままPRIMARY KEYとしています。また町域と郵便番号の関係などは日本郵便のサイトを参考にしています)

『Webを支える技術』300ページでは「階層構造は関係モデルからはわかりにくい」とありますが、それは誤解だと思います。普通は正規化を進めれば進めるほどエンティティの階層は深くなっていくはずです。市区町村->町域という階層も上のモデルからは自明です。むしろいかに階層を(正規化を)崩してリソースを抽出するかのほうが難しいと思います。

私はモデリングの専門家ではありませんので、勘違いしている点があったら教えてください。

まぐれ—投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』の感想。

著者は『ブラック・スワン』のナシーム・ニコラス・タレブ氏。この本は『ブラック・スワン』の一つ前にあたる著作。

日本語の副題「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」が的確に内容を要約している。哲学やら社会学やら心理学やら、かなり幅広い話題を扱っているが、結局のところ「市場においてトレーダーはどう振る舞うべきか」というテーマが中心にあって、トレーダーとしての自身の経験と運用哲学が根底にある。非合理的な振る舞いを繰り返す同僚たちをバカだアホだとこき下ろしながらも、実はその一部は自分自身のことで、人間はどうやっても合理的になりきれないと告白する。自分が愚かであることを理解し、受け入れた上で、うまく向き合っていく方法を身につけるしかないのだと。

この本は著者がそういう自分のやり方に、自分で納得するために書いているのではないか、と思える部分がある。結構ドギツイ文章を書く人で、読んでいてうんざりしてしまうことも多かったが(特に前半)、実際はとても正直な人なのだろう。

以下、特に印象に残った内容を6章以降から。この本は6章から俄然面白くなるので、6章までは頑張って読み進めることをお勧めする。

  • 「確率」と「期待値」を混同してはいけない。0.7の確率で1%の上昇、0.3の確率で10%下落なら、期待値は2.3%の下落だから下落にかけた方が良い。勝つ可能性が高くても、それで儲かるとは限らない。
  • 確率と期待値を混同してしまう原因の一つは、確率を習うときにコインの裏表のような対称な分布を使うから。正規分布も典型的に対称な分布。
  • 稀な事象は、めったに起こらないというだけで、起こるときには起こる。そしていつも思いがけないときに起こるので(そうでなければ稀な事象ではない)、起こったときには心理的なバイアスによって適正な値段がつかないことが多い。よって大きく儲けるチャンスがある。
  • 人間は刺激の大きさよりも刺激の有無に敏感な傾向がある。だからトータルで利益が出るかどうかではなく、「損失の回数が少なく、利益の回数が多い」ような戦略を選んでしまう(日本で毎月分配型の投資信託が好まれる理由?)
  • ある理論が「検証可能」であるということは、数量的な要素に分解して統計的に調べることができるということ。よって間違っていると証明すること(反証)はできるが、正しいと証明することはできない。「(今まで)〜ということはなかった」は「(これからも)〜ことはない」とイコールではない。
  • 科学的と言える理論は2種類しかない。(1).反証されて、間違いであることが分かっている理論。(2).まだ反証されていないが、いずれ反証される可能性のある理論。反証できない理論は科学ではない。
  • 取引戦略を立てる時も反証可能性について考えることは重要。どういう状況になったら自分の戦略が間違っていたことになるのかをはっきりさせておき、そうなったときには即座に手仕舞う(ストップロス)。

そして個人的にこの本の中で最も面白いと思ったのは、無限匹のサルがタイプライタを叩く話(170ページ)。サルが無限匹いれば、中には偶然に名作を書き上げてしまう奴が必ず一匹は現れる。ここまでは割とよく聞く例え話だ。しかしここからが面白い:名作を書き上げたその一匹があなたのもとを訪れて、自分で書き上げたその「過去の実績」を示し、パトロンになってくれと頼んできたらどうだろう!そのサルがその名作を書き上げたのは紛れもない事実なのだ。そしてその他大勢のサルたちは皆(特に目立った成果を挙げられなかったのだから当然)どこかに行ってしまった。あなたの目の前にいるのは”奇跡のサル”だけだ……。

どんなに無能な集団でも、母集団が十分大きければ、必ず一定数は成功する。成功しなかった大多数は消えてしまうので、あとから見ると成功した一部しか目に入らない(これを生存バイアスという)。よって「過去にどれだけの実績を上げてきたか」が分かっても意味がない。当初その人が属していた母集団の大きさをこそ知らなければいけない。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]の感想。

科学としての経済学

経済学は計測の学問だと言う。それは経済学が”科学”であるための方法なのだろうと思う。

自然科学において仮説を検証するには実験を行う。狙った現象が観測可能になるようなうまい状況を整えて、仮説に整合的な結果が生じるかどうか調べる。しかし経済学の対象は現実そのものなので、仮説を検証するための実験を行うことは難しい。代わりに現実の中で得られた膨大なデータに統計学的な分析を加えて、ある現象の原因と結果がうまい具合に立ち現れるよう工夫する。

そういう意味で、経済学におけるあらゆる種類の実験は、あらゆる条件下で常時行われていると言えるかもしれない。

インセンティブは発明されたものである

インセンティブとは「発明」されるものだと言う。もっと稼ぎたいからがんばって働く、警察に捕まるのが怖いから不正はしない。現代社会では当然のことと考えてしまいがちだが、これらは普遍的な原理でも何でもなく、そういう風に行動するようにインセンティブが設計されているのだ。ここで私はおれカネゴンさんの日記の次の箇所を思い出した:

ところで、「よいことをするとよい報いがある」「悪いことをするとそれなりの報いがある」という因果は、実はまったくの非合理的な信念 (irrational belief)で、この因果は合理的なのだ(筋が通っている)とすべての人によって信じられているということ以外にこれを支える根拠は本来どこにもなかったりする。かといって、論理療法とかを真似て、にわかハッカーのように「これは非合理的です」と斬って捨てたままにしていいことにはならない。というのは、人類は数千年かけて、本来は非合理的であるはずのこの信念が本当になるように全力を尽くしてきたからで、その最たるものが法律なのだと思う。

法律はインセンティブを導入するための強力な手段の一つだ。そして経済学者は、インセンティブを発明したり設計したり導入したりすることで、あらゆる問題は解決できると考える(らしい)。

『割れ窓理論』という通念

150ページからは有名な「割れ窓理論」をもとにしたニューヨーク市の防犯対策と、実はそれは全く効果がなかったという著者の主張が述べられている。主張の根拠は次の3点にまとめられる:

  1. 犯罪の急減はニューヨーク市にけではなく、全米で起こっていた。
  2. 対策が始まったのは1994年からだが、1990年には既に減少が始まっていた。
  3. 対策の内容とは無関係に、警官が増員されていた(警官が増えれば犯罪が減ることは証明できる)。

これだけの証拠があったのに、なぜ割れ窓理論に元づく説明が広く世間に受け入れられ、「通念(conventional wisdom)」となったのか。『通念は、単純で都合がよくて居心地良さそうで、実際居心地がよくなければならない』と著者は言う。確かに、割れ窓理論が提示する筋書きは心地よい。身近なところで起こる軽微な犯罪を徹底的に取り除いていけば、やがて街から犯罪の臭いが消え、殺人や強盗といった重大な犯罪も減少する……。警察が、街のみんなが頑張ったから犯罪は減ったのだ!というのは、ぜひとも信じたくなる考え方だ。

「銃とプール、危ないのはどちらか」、「ヤクの売人はなぜママと住んでいるのか」、「黒人と白人の成績格差は何が原因か」といった本書の話題の多くは、基本的に米国人の通念を前提としており、日本人が読んでも「ふーん」という以上の感想を持つのは難しい。例えばアメリカでは近年、子供に変な名前をつける親が増えているらしい。日本でも同じような話は聞く。しかしそこから親の傾向とか子供の成績との相関を調べたら、アメリカとは全く別の結論になるのではないかという気がする。

世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ!

世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまでの感想。

飯田泰之先生の経済入門本。発売がなぜかエンターブレインだったり、帯にでかでかと勝間和代さんの写真が載っていたり、外観は良く分からないことになっているが、内容はとてもとても分かりやすかった。

主に3章以降から、特に印象に残った部分をメモ。

  • 不況には2種類あり、また2種類しかない。すなわちスタグフレーションか需要不足型不況である。
  • 経済政策には成長政策、安定化政策、再配分政策の3種類があり、それぞれ目的も効果も異なる。間違った状況で間違った政策をとると効果が出ない
  • 60〜70年代の世界はスタグフレーションに陥っており、「成長政策」こそが必要だったが、「安定化政策」をとってしまった。また90年代以降の日本は需要不足型不況で「安定化政策」が必要なのだが、「成長政策」をとってしまった(小泉改革)。
  • 成長政策は中長期的な潜在GDPの上昇に効果がある。代表的な政策は「民営化」と「規制緩和」。
  • 安定化政策は潜在GDPと実質GDPを安定的に一致させる。経済の安定は中長期的な潜在GDPの上昇にも欠かせない。代表的な政策は「財政政策(公共事業/給付金)」、「金融緩和政策」
  • 再配分政策が必要なのは、セーフティネットを整備して成長のための挑戦をしやすくするため。過剰に再配分をやると逆効果。
  • 2002年から2007年までの「いざなぎ超え」は、それだけの期間回復基調が続いたというだけで、需給ギャップはほとんど埋まっていなかった。成長率そのものも低く、結局のところ需要不足型不況が続いていた。
  • デフレ下では名目金利がどれだけ低くても、実質金利=名目金利-予想インフレ率は高くなり、企業の投資活動は萎縮する。
  • ミクロの視点では正しくとも、それが合成されたマクロの世界では正しくなくなることを「合成の誤謬」という。デフレ下の個人個人の選択は合理的なので責めようがないが、最終的には自分たちの首を絞めることになる。
  • 税収の増加率≒名目GDP成長率<国債の名目利子率 が成り立っている限り、どれだけ無駄を省いたとしても、必ず財政は破綻する。

Amazonのレビューにも書いてあるが、一部で図が間違っている。あと誤植が割と多い。そこだけが気になった。